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1私は救われて六十六年になります。来年の三月が来ると、伝道、牧会を始めて六十年になります。この六十年のキリスト教界の歴史を振り返って、感じることがいくつかあります。一つは、いろいろなものが変ってきたと....

1私は救われて六十六年になります。来年の三月が来ると、伝道、牧会を始めて六十年になります。この六十年のキリスト教界の歴史を振り返って、感じることがいくつかあります。一つは、いろいろなものが変ってきたということです。私が救われたばかりのころ、つまり第二次世界大戦直後のわが国のキリスト教界は、リベラルな人々と聖書信仰の人々の比率は二十六対一でした。そういうこともあって、聖書信仰の人々は、聖書を厳格に守ろうとしていました。行き過ぎと思えるほどのことがありました。たとえば、日曜日は安息日だから何もしてはいけないと言い、土曜日の夜中の十二時前までであれば、仕事も勉強もしてよいけれども、日曜に入ったら、もう何もしてはいけないという有様でした。そして日曜日の夜中の十二時を過ぎると、安息日は終ったとして、仕事や勉強をしたものです。これは、ウェストミンスター大小教理問答書の考え方に基づくものでした。それから、この解釈はおかしいということが分り、カルヴァンが指摘しているようにコロサイ教会への手紙二章一六節の御言葉に基づき、安息日は主イエス・キリストにおいて成就したのだから、日曜日はもう安息日ではなく主の日(主の復活した日)であるということになって、そのような行動は見られなくなって行きました。これは、ウェストミンスター大小教理問答書を採用している改革派、長老派の教会だけのことではなく、聖書信仰を標榜するすべての教会に見られた現象でした。細かなことになると、聖書信仰とは言っても、必ずしも聖書だけが基準なのではないために、聖書解釈が変ってくるということがありました。11月の言葉・編集長牧会六十年の中で見てきたこと?